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レトロゲームアイドル杏野はるなが騒動についてコメント 子作りを強要 辞めたら芸能界追放


レトロゲームアイドルの杏野はるなさんが今年1月6日に事務所の社長と泥沼騒動を起こしていた。騒動の発端は杏野はるなさんが失踪し仕事を放棄してしまったとのこと。また不倫していることも発覚し離婚に向けて話会っているという。

事務所エッグコアの代表である小林栄介さんと3年前に結婚していたことも明らかになった。その際はFacebookにて土下座する写真を掲載し関係者に謝罪を行った。
そんな渦中の杏野はるなさんが本日騒動についてFacebookにコメントを行った。かなりの長文になるの一部を抜粋して掲載したいと思う。全文は下記に掲載。

「1月19日に離婚が成立したこと、そして公的機関、専門家、相談所などに相談をし、今後のアドバイスや意見をいただいた上での現況に至っている事をこの場をもちましてご報告致します」と正式に離婚したことを発表。離婚については先日小林代表からもコメントされていた。

続いて「しかしながら離婚は成立したものの、残念ながら社長の行動により私への誤解がエスカレートしておりまして、間違った根拠のない誤解が生まれつつある事を憂慮し、この状態に至るまでの経緯を書かせていただきます」としており、またツイッターやブログの内容もほとんどが社長である小林栄介代表の内容に書き換えられていたという。その内容とは炎上を誘発するようなもので、杏野はるなさん自身はそれが嫌だったという。それがエスカレートし連載に移行。

20歳になるころには事務所に税金などの督促状が大量に届き、差し押さえ通知まで来たと言う。それに対して小林代表は「数年逃げ切れば税金など払う必要はなくなるから大丈夫だ」と言い放ったそうだ。

小林栄介代表は感情の起伏が激しく、その結果「結婚をしなければ会社の内部、つまり金銭の現状を見せることはできない」とまで言われたようだ。仕事のため、多くのゲームグッズ(ゲームミュージアム)のためと思い結婚した杏野はるなさん。「夜中に起こされ寝不足の中でも迫られ、仕事がある早朝から迫られることも多々ありました」としており子作りの強要までされ限界に達していたという。

しかし昨年夏に我慢の限界が来た杏野はるなさんは離婚して欲しいと懇願したところ「離婚するなら芸能界から追放する」と言われたという。

エッグコアに在籍していた元関係者に話を聞くと「この事務所は杏野はるなさんで持っているような小さな会社。杏野はるなさんが居なくなったら会社は持たないかもしれないです。私はうまく移籍しましたが杏野はるなさんはトラブルメーカーで移籍できるかわからない」と事務所について語ってくれた。

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<以下全文>
この程の株式会社エッグコア代表取締役社長との騒動についてコメントをさせていただきます。
その前に、改めましてファンの皆さま、及び関係者各位に多大なご迷惑やご心配をおかけしている事、心よりお詫び申し上げます。
東京に上京してから今まで、お仕事に対する誠意は一切変わらず活動しておりましたが、意に反して私が対処できない状況にまで私生活が追い込まれてしまい、公的機関を介して解決を図った結果、お仕事の休止をせざるを得ない所まで来てしまいました。
現在も、さまざまな関係者に支えていただきながら生活をしている為、詳細に記述する事は控えさせていただきますが、調停委員、他皆さまのご協力のもと1月19日に離婚が成立したこと、そして公的機関、専門家、相談所などに相談をし、今後のアドバイスや意見をいただいた上での現況に至っている事をこの場をもちましてご報告致します。
しかしながら離婚は成立したものの、残念ながら社長の行動により私への誤解がエスカレートしておりまして、間違った根拠のない誤解が生まれつつある事を憂慮し、この状態に至るまでの経緯を書かせていただきます。
長文となります事予めご了承下さい。
今現在も私はゲームが大好きで、ゲームミュージアムが今後も維持運営されていくことを切に願っております。私がエッグコアに所属をしたのは11年前。以来多くの方々にご支援を頂きながらさまざまな活動を行って参りました。しかしながら社長である小林との意見の相違も多々あり、時として移籍を考えた事もありました。そのアイドル活動の中で社長に勧められ、レトロゲームに目覚めた事が私には最大の転機となり、後には多くの方々のご協力を得てゲームミュージアムができた事は何よりも嬉しい事でした。
ゲームミュージアムを立ち上げる前の未成年だった頃は、事務所での仕事に精一杯だったため社会の常識に疎かったと思います。当時はタレント契約という概念すら理解しておらず、給与を支給されていなかったことに対しても適切な抗議ができずに社長の言われるままに振る舞っていたというのが正直なところです。
その中である時、私はTwitterに興味を持ち、当初はコミュニケーションツールとして私自身が書いていました。その頃の社長は、Twitterには利益の見込みが低く、魅力がないと感じていました。しかし、フォロワーが増えてくるにしたがい、社長は会社の利益になると考えを変えたようです。その頃から発言内容が明らかに私自身の考えとは違い、炎上を誘発するような独特な内容となりました。公式Blogに関しましても、Twitter同様に私が編集作業をすると「なんで勝手に変えるんだ? あの書き方だと誰も見てくれない、話題にもならない」と言われ、「この発言の仕方はどうなの? ここはもっと確認をしてからでないと失礼になるんじゃないの?」との問いかけをしても一切耳を傾ける事はなく、その結果“社長のメッセージ”となってしまいました。自分としては納得がいかない表現もあり、しつこく訴えた時期もありましたが、逆上され恐怖を覚える日々でしたので、後に社長の知識が雄弁を振るうメールマガジンやゲーム雑誌の連載などに発展し、ゲームアイドルとしてのイメージも定着してきた頃には後戻りが出来なくなり、私も辛口発言をしなければならない状況となりました。
これらの生活の中で、ある時どうしても納得のできない出来事が起こりました。20歳頃には事務所に税金などの督促状が大量に届くようになり、差し押さえの通知まで届くようになりました。年金も未払いだったのです。それに対して社長は「数年逃げ切れば税金など払う必要はなくなるから大丈夫だ」と言い出しました。
このままでは会社の存続どころか所属タレントの生活も自分の生活も社長でさえも立ち行きいかなくなると考え、社長への進言へと踏み切りました。しかしながら、私にとって社長は生活の恩人でありますが、非常に感情の起伏が激しく、とても近づきがたい人でもありました。当初から意に添わないことに対しては言葉では表せないほどの行動に出る人でしたが、それでも我慢できず進言しました。その結果「結婚をしなければ会社の内部、つまり金銭の現状を見せることはできない」と言われたのです。
社長に対して個人的な好意はなく、結婚は恋愛感情がまずあるべきと考えていたので結婚については全く考えていませんでしたが、その後「結婚しないと仕事のバックアップは一切やらない、やる意味がない」「名前もせっかく売れてきたのにもったいない」と迫ってきました。他の事務所に移籍してもゲームグッズは持っていくことはできないと知り、ゲームミュージアムを続けられないとも言われました。
それでなくても、私とお会いになった方はご存知かと思いますが、個人での活動中では常々LINEなどで居場所から行動内容まで報告しなければならない状況でした。本来社長が出向かなければならない各社との契約などに私が一人で出向くこともあり、その上でタレント活動をし、スケジュールに余裕がない中、社長から結婚を迫られるという毎日が続き、夜中に起こされ寝不足の中でも迫られ、仕事がある早朝から迫られることも多々ありました。
上記理由によりストレスが限界に達した時、婚姻届に判を押してしまいました。平成22年7月のことです。この時、私は両親に結婚することを伝える精神的な余裕もありませんでした。社長には念のため数回ほど「お仕事上の金銭関係で結婚しただけで、解決したら離婚してほしい」とは伝えたものの、言葉だけでは何の効力もありませんでした。
社長は「結婚を発表しようと思っている」と言ったこともありましたが、それまでネット上の「杏野はるな」は、結婚に対して否定的な発言を繰り返しており、今後のタレント活動に支障が出るとの判断もあり発表にはいたりませんでした。
結婚後は、会社の建て直しに全力を注ぎまして税金の滞納金を減らし、差し押さえを解除してもらうために私の貯金を使うこともありました。もともと私には会社との契約はありませんでしたが、多くのファンに心配をかけないようにタレント活動にも専念してまいりました。その結果、さまざまな会社の方との繋がりも増え、会社も立ち直り、滞納金もほぼ無くなくなったのです。平成26年6月のことでした。
その後、金銭面での解決に目途が立ったので離婚をと考えましたが、一度結婚した事実は簡単に解消できるものではなく、両家の問題もその一つで、とくに社長のご両親は子どもができることを期待されておりました。ご両親に会うたびに孫の話が出ることも多くなり、しかしながら私にはどうしても社長の子どもを産む気になれずに、ずっと悩みながらも表には出さないようにしていました。恋愛感情がなかったので仕方がなかったのです。そして、社長があまりにもしつこく子どもを作ることを迫ってきた事がとても辛く、加えてこれから書く大きな二つの理由により離婚を決意しました。
一つは会社の経営に関する考え方の違いです。どのようにこの会社を存続させていくのか。私がイメージしている活動の方向性を理解し実現してもらえるのか、他のタレントをどのように育てるのか、社長はちゃんと手伝ってくれるのか。心配は絶えません。現状、会社の収入は私のタレント活動に頼る部分が大きく、そこに育児が加わり、家事がより増えることに私が堪えられるのか。
このように疑問や不安があったために私が「もう少し会社のためにも力を入れてほしい」と投げかけると「はるながいるから、自分は2割の力しか出さなくてもいいんだ」と社長が言ってきました。自分はゴーストライターなどの影の仕事で充分。会社の収入のメインは「杏野はるな」が行うということなのでしょう。そこには私の負担を軽くしようとする言葉と行動がなかったのです。私は、社長ならもっと表に出て各社との交渉、交流に責任を持ち、会社内部の私が手がけている仕事の負担を減らして欲しいと言いましたが聞き入れてもらえません。あまり強く言うと社長は何をするかわからないので妥協してきた部分も多くあります。私は19歳の頃から社長の顔色を見てできるだけ怒らせないようにしてきました。しかしここにきてついに精神的に絶えられなくなり、逃げるしかないという選択を致しました。
もう一つは、私生活と事務所を混同して使用し、部屋の整理整頓もできない状態だった事です。状況は、おいでになった方ならおわかりだと思います。社長のご両親も社長に対して疑問や不安があったようで「ちゃんと私生活と仕事場は区別をして、所属しているタレントの女の子たちに対しても、同じ家で寝泊まりするのはどうかと思うんだ。プライベートの家を持つように考えてくれないか」と言っていたときもありました。そんな公私混同の環境のなかで結婚生活を維持し子育てをしながら、お金も稼ぎ、家事も私がほぼすべてやることは、私には無理だと判断しました。
そして、本当の限界がきたのが平成26年の夏でした。どうしても社長と一緒に生活することができない。まず、子供を作ることの強要をやめてほしい。仕事は大切なものだから社長と共にやってもいいが、離婚だけはしてほしいと懇願しました。結果は「離婚するなら芸能界から追放する。離婚するなら当然だ」との返事でした。私もかなり悩みましたが、愛情もなく精神的に参っていましたので芸能界をやめるから離婚して欲しいと伝えました。しかし、次に提示された条件は、会社の取締役になることでした。離婚はしてもいいが、会社の責任者となって会社の維持と収入の確保に責任を持たせたいのでしょう。私は非常に困惑し、せっかく芸能界からの引退まで考えたのだから自由にして欲しいとお願いしに行きました。しかし、社長は引退することも離婚することも拒んで、かなりの暴言と共に怒りを表しました。私は身に危険を感じ、そのまま地元の警察署に逃げ込みました。それが自分の出来る行動の限界でした。
今、新たに心配していることはゲームミュージアムの維持存続です。特にレトロゲームの魅力に気づいた私は、これらのゲームが文化として保存できることを特に望んでいます。娯楽施設のように誰でも触ることができ、できるだけ多くの人に知ってもらいたい。儲けるための物ではなく、日本の文化を残す博物館としていろんな企業と協力して存続してもらいたいのです。そのあたりが社長とは路線が違い、社長には財産としての思いが強いようです。実際、私が事務所を離れてから、会社で仕入れた物のみならず、好意で寄付していただいた品物、一時的に預けていただいているゲームグッズなどの処分を考え始めたのか、一部を現金に換えだしました。
離婚に向けて避難生活をしている間もご協力をいただいている弁護士さんを通して処分をしないようにお願いしたこともあります。現在でも、社長がゲームミュージアムを受け継いでやっていってくれるならばそれでいいと思っています。しかしながらこれからも保存をして伝えていきたい大切なコレクションやゲームグッズをオークションなどで売りさばくような事はしてほしくないのです。しかし、この数ヶ月ほど社長の発言などを見ていると、ゲームミュージアムを私物化し管理できないのではないかと感じております。
今は、自分と向き合う時間をとれた事で冷静に物事を考えられるようになってきましたが、長年にわたる明らかにおかしい言動、力尽くの行為、洗脳に近い行動を思い出すと現在でもとても恐怖を感じます。
如何なる理由があったとしても結婚をしてしまった事、社長の考えに結果的に同意するかたちになりファンの皆さまにご迷惑やご心配をおかけしました事は、たとえ厳しい環境であったとしても、適切な判断と行動をする勇気が足りなかった私の責任でもあります。ファンの皆様、関係者の皆さまには多大ご迷惑をおかけしまして本当に申し訳ございませんでした。
ご拝読、ありがとうございました。また、変化がありましたらご報告いたします。

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