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空襲体験をしたと語る鳥越俊太郎 出身地のうきは市は空襲にあってなかった?





都知事選に出馬している鳥越俊太郎氏が先日の出馬表明会見で「私は昭和15年の生まれです。終戦の時20歳でした。もちろん空襲も覚えてます。防空壕に逃げ込んだこともよく記憶しております」と語り話題になった。
しかし実際は終戦は昭和20年であることから、鳥越俊太郎氏は当時5歳。もし鳥越氏の言うとおり終戦時に20歳だったのであれば、今年90歳を超えていることになる。

5歳と6歳と間違うならわかるが、5歳と20歳では大きく異なりTwitterでは「認知ではないか」「年齢詐称してる可能性があるなw」と投稿されている。

そんな鳥越俊太郎氏の空襲に関する更なる疑惑が浮上した。鳥越俊太郎氏は福岡県吉井町(現うきは市)の出身。ここで5歳のときに空襲を受けたとしたら大きな誤りがある。実はこの福岡県吉井町は空襲にあっておらず、むしろ疎開地だったのだ。

現地の人は「浮羽郡まで空襲遭ったなんて聞いた事無い」「吉井は酒蔵と田んぼしかないようなところだしね」と語ってる。
また、うきは市は「筑後吉井伝統的建造物群保存地区」となっているようだ。その文章を引用すると次の様に書かれている。

うきは市吉井町のほぼ中央部にある筑後吉井保存地区は、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な町屋が連続する町並みと災除川と南新川沿いに広がる屋敷群からなっている。明治2年(1869)の大火を契機として、吉井では草葺きの町屋にかわって瓦葺塗屋造が普及し、経済の最盛期であった大正期にほぼ現在みる町並みが形成された。保存地区では、これら約250件の伝統的建造物と屋敷庭園及び川沿いの樹木について、保存の処置が取られている。

つまり空襲にあっていたら戦前からの街並みが無くなっていた、もしくは一部が焼けていたことになる。

しかし、一部では吉井町の北西15キロ離れた大刀洗飛行場に空襲があったという情報もある。吉井町そのものは空襲にあっていなかったが近辺で空襲があったのは事実のようだ。



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